あのことわたし

21年一緒に過ごした猫とのお別れの記録

私の愛した猫がいない世界で 2

0日 8月25日 

衰弱は明らかだった。体は限界なのだとよくわかる。開口呼吸している。病院が開く時間が近づいていた。どうすればよいのか。どうすることがよいのか。よいことなんてなにもない。何が正しいのかなんてないのだとわかっていながらも正解を探していた。病院に連れて行ってそしてそこで亡くなってしまったら。ゲージの中は当然このこの大好きなクッションなどない。低い温度の治療室なのだ。安らぐことはどうしたってできない。そこで家族のいない場所で逝かせてしまうのか。しかし私はまだこのこと一緒にいたい。それはエゴじゃないのか。この判断で私は後悔しないか。

 

考えてどうしても答えがでないまま病院が開く時間になり私は頭で結論を出す前に病院へ連れていった。苦しそうだ。胸水を抜くだけなら。それだけならまだきっと大丈夫。そう思って連れていった。

 

朝一番で来た私たちをみた先生はすぐに対応してくれた。そしてすぐに処置を行いますと言われた。いつものように一時間酸素室で安定させてから、そして連絡をする、そういう話だった。しかしいつものように誓約書にサインをしていると、看護師さんがそのまま待っていてくださいと伝えてきた。とても慌てていた。

 

待合室であのこをいれてきた籠を抱えてぼんやりと座っていた。病院にはいつも母ときていた。母も心配なのだ。二人で並んで座っている。無言だった。どうしたのかな、と母が言う。何かあったんだろうね。そう答えながら頭が鈍く動いていくのを感じた。何か。何かなんて決まっている。危篤になったのだ。私が決めて病院へ連れてきた。処置の方法もリスクもわかっていて、衰弱がひどいこともわかっていてそれでも連れてきた。何を考えたらいいのかわからずただ待っていた。

 

20分ほどして呼ばれた。ぐったりとしたあのこに酸素マスクを当てた状態で看護師さんが立っていた。先生が言う。一度心臓が止まりました。ゲージに入れた途端ぱたんと倒れて息が止まった。心臓が止まったのだと、そう言われた。そこから蘇生処置を行って今なんとか心臓が動き出した。蘇生したのだ。かえってきてくれたのだ。

 

14時12分

家に戻ってきたときはまだ頭がうまく動いていなかった。部屋を整えチリないように掃除をして、そして一時間半後、迎えにいった。胸水を抜けばわずかながら元気を取り戻していたあのこはぐったりと体を横たえていた。先生が言った。もう今日はおそらく越えられない。もしかすると数時間で、ということだった。

 

あのこの体は細かった。いつも見ていた窓の外をぼんやりと見つめている。私の部屋はあのこの部屋だ。部屋に戻るとあのこはふらふらと自分のクッションで体を横たえた。帆立缶を空けても食べようとしない。細い体だった。小さい頭に指で優しく触れる。少しだけ私を見る。あのこの目はいつもやさしい。笑みでかえそうとして涙があふれてしまった。私が泣いているとそっとよりそってくれたあのこ。やさしいこだった。笑顔にならないと駄目だと思ってもうまくいかない。

 

家族に呼ばれて少しだけ部屋を出た。ゆったりと横たわっている姿はおだやかだった。まだ大丈夫。すぐ戻るから、とそう言いながら部屋を出た。15分もかからなかったと思う。戻ってきたときあのこはクッションにいなかった。

 

一瞬何があったかわからなかったが、驚いたことにトイレにいたのだ。もうすでにすぐ近くにおいてあった砂のトイレだ。歩くこともままならなかったのにトイレにいったあと、ふらふらとしながら机の下の暗いところに向かう。あのこの名前を呼びながらどうすべきか迷った。私が見ている中、あのこはもう歩くことなんてできないはずなのに倒れそうになりながら水飲みばに向かった。息も絶え絶えに水を飲んだあと、いつものクッションに横たわった。息がどんどん荒くなる。目を見開きながら口でをする。もうすぐなのだ。

 

ありがとう。戻ってきてくれてありがとう。本当にありがとう。ごめんね。苦しいよね。苦しいのとってあげられなくてごめんね。今までありがとう。ずっとずっと大好きだった。今もこれからもずっと大好き。一緒に過ごせた時間は私の中で宝物だよ。ありがとう。ありがとう。本当にありがとう。ありがとう。ありがとう。

 

あのこが痙攣した。少しこわばりそしてふ、とあのこの命がここから消えたことがわかった。目は空を見つめながら何もうつさなくなっていた。心臓は少しだけ動いてそしてゆるやかになっていき心音が聞こえなくなった。逝ってしまった。

 

0日 最期の夜

声を出して何度も泣いた。名前を呼んでお礼をいっての繰り返しだ。冷たくなってしまったあのこはまるで寝ているようだった。苦しみから解放されたんだと思うと少しだけ救われた。あのこの体をいつも寝ている籠のクッションに横たえて、保冷剤をクッションの下に敷き詰めエアコンで部屋の温度を極力下げる。最後の夜はいつもみたいにベッドで一緒に眠ることにした。

 

ベッドヘッド凭れて枕の横で眠るあのこをみる。かわいいおかおはまるでかわらない。眠っているようだと何度も思う。何度も撫でる。死後硬直が起っても耳はやわらかかった。名前を呼んで語りかけた。最初であったとき橋から落ちそうになってたこと、昔はやんちゃだったこと、綺麗好きでいつも毛繕いをしてたこと、新しい毛布が大好きで出すと誰よりもはやく乗って眠ったこと。おしっこするときは誰かについてきて欲しがったくらいのさみしがりやだったこと、ベランダが綺麗になってベランダに出ることが好きだったこと。迷子のようなものをつけて庭で少しだけお散歩のようなことをしたこと。楽しかったね。すごく楽しかったね。そんな風に話していた。

 

明日火葬場でお別れする時に手紙をいれようと思った。あのこの隣、ベッドの上で書き始めた。書きはじめると止まらなかった。楽しかった思い出とお礼。それを書きながらここ数日のことを思う。あのこは一度心臓が止まった。もしあのとき逝ってしまったら、私はきっと一生自分の判断が許せなかった。病院へ連れていったことを許せないまま自己嫌悪で苦しんでいたと思う。あのこは戻ってきてくれた。こんなところでも私を救ってくれたんだと思ったらまた涙がでてきた。すばらしい獣医の先生に出会えたことも本当に良かった。あのこを連れ戻してくれたのだ。あのこ自身の力とそして先生のおかげだ。

 

思えばあのこには救われることばかりだった。うちには今までにあのこ以外にも三匹の猫がいた。どのこも街中や家の前、はたまた家のすぐそばで死にかけているところをに遭遇してうちに連れてきたこたちだった。みんな死んでしまった。いつも悲しくて本当に悲しくて辛かった。そんなときもあのこはずっとそばにいてくれたのだと気付いた。家族となった猫たちを失う悲しみを癒してくれていたあのこ。だから私はなんとか立ち直ってこれたのだと今ならわかる。あのこがいなくてうちから猫たちがいなくなってしまった。尋常じゃない喪失感だった。

 

手紙は7枚にも渡る長文になってしまった。思うことが多過ぎた。私は以前、家に猫がいることで長期で旅行にいけないことなどを少し残念に思ったことがあった。いろんな不都合なことをうちには猫がいるからできないなんて理由にしたことがあった。最低だ。そのことを書いた。結局は自分の問題でしかなかったのに。あのこたちから多くのものを貰って救われたというのに。でも軽率な考えだったと今ならはっきり言える。もしすべての記憶を持って別れの苦しいほどの痛みを知っていながら過去再びあのことであっても、手を伸ばすことに欠片のためらいもない。そう思うことができたことが少しだけ嬉しかった。

 

私はあのこから沢山のものを貰い沢山救ってもらった。あのこは幸せだったのかなと考えた。幸せだったかどうかはこれからしばらく私を悩ませることになるものだった。それを疑うことがひどいことだと、21年という月日は幸せであったと言えるのだと言われて心が癒されることはもうすこしあとのことだ。このときはいつもそばによってくれたこと、一緒にくっついて眠ったこと、そんなことを思い出して、愛されていたのだと、愛してくれていたのだと沁みるように思っていた。

 

手紙を書き終えて眠っているあのこを撫でる。いつもとかわらない。ふわふわとした綺麗な毛並み。顔を近づけてすんと嗅げばいつものあのこの匂いがした。おひさまのようなクッキーのようなあまくてあたたかい匂い。でもひんやりした体が私に教えるのだ。まるで違うのだと。おやすみ、と告げた。最後のおやすみだ。