あのことわたし

21年一緒に過ごした猫とのお別れの記録

私の愛した猫がいない世界で 1

21年間一緒にいた猫が息を引き取った。

辛い。

苦しい。

 

大好きだった。かわいい子だった。いい子だった。やさしい子だった。にゃ、と小さく返事する声が好きだった。尻尾で返事してくれるのも好きだった。ひだまりの匂いが好きだった。辛いことがあるといつもあのこの元にいってあのこに触れた。触れた瞬間から辛さが緩和していくのを感じていた。大好きだった。私の魂の一部だった。いつもあのこの体に手をあてて私の命を上げるからさいごまで健やかに元気に苦しくないように生きて。幸せに生きてと願っていた。3キロを超えることのない小さなこだった。最後は2キロを切っていた。まるで空っぽのペットボトルみたいだった。

 

甘やかしすぎと言われた。そうかもしれない。でも足りない。もっと甘やかしたかった。どんなこともきいてあげたかった。にゃあとなくあのこの気持ちをちゃんと理解してあげているのか不安になることも多かった。私の後についてくるあのこがかわいかった。大好きだった。愛しかった。どんなことをお願いされてもきいてあげたかった。あのこの一生は私よりも短いのだから。そう思えば出来る限りのことをしてあげようと思っていた。ふかふかのクッション美味しいごはん。お部屋でいちばんおひさまの光がぽかぽかあたるベストボジションは全部あのこの場所。

 

もっともっと甘やかしたかった。

でも甘えてたのは私の方だったんだ。

 

私はあのこの願いをかなえてあげたくて仕方なかった。出来る限りのことをしていた。でもあのこは私のそんな気持ちをわかっていたんだと思う。長く生きられるといい(長く生きて)。最後は病院ではなくおうちで息を引き取れるように(おうちに帰ってきて)。最後はあのこが寂しくないようにずっとそばにいてあげたい(一緒にいたい)。あのこのために思う気持ちは私の願いだった。そしてあのこは全部かなえてくれていたのだ。

 

 

6日前 8月19日

 胸水が溜まっている。それを聞いたとき鈍く絶望を感じた。もうだめなんだ。そう思った。胸水の予感はあった。咳をするようになってから頭をよぎったものだった。だから獣医さんに聞く前にネットで検索をいっぱいしていた。余命一か月と言われた、胸水と診断されてから三日でなくなった、半年頑張ってくれた、そんな結果をみた。三日って何。明々後日ってまだ八月も終わってない。半年でももしかするとまだ2016年なの。でも今日は胸水って言われなかった。違うのかな。そんなものを見た翌日の診断結果が胸水が溜まっているから抜くということだった。

 

あのこは腎臓が悪くもう20歳を超えている。麻酔はできない。今だととにかく息が苦しくて今日にも危ない、でも胸水を抜くときはリスクがある。酸素室にいれて息を整えてから胸水を抜けばリスクは少しは下がるかもしれない。そう聞いた。リスクとはその場で死んでしまうかもしれないということだ。そして抜かなければ苦しいまま今日死ぬかもしれないということだった。私は極力リスクを下げて胸水を抜いてくれと頼んだ。苦しかった。

 

麻酔なしで針を内蔵まで刺す。激痛であることは想像できる。しかし想像だ。どんな壮絶な痛みなのか私には本当の意味での理解はできない。それでもお願いしてしまった。今苦しいからそれは可哀想だから、先生は胸水を抜いた方がいいと思っているんだと感じた、そんなことを言い訳という言葉を思い浮かべながら考えた。承諾書にサインをした。これは術中に死ぬことがあるからだとわかった。リスクがあるものなのだ。

 

一時間酸素室に入れて呼吸が安定したら胸水を抜く、終わったら連絡をすると言われて家に帰った。連絡があるまでの時間は生きた心地がしなかった。あのこが帰ってくるまでに出来ることは何か。掃除くらいしかできなかった。晴れていたからクッションを干してふかふかにしておいた。ぴかぴかきらきらぽかぽかのお部屋ができた。でもあのこがいなくては話にならない。不安で苦しくて辛い。そんな時連絡があった。今安定しています。迎えに来てあげてください。私はすぐに迎えにいった。

 

酸素室にいるあのこは私を見た途端にゃーにゃー鳴きだした。すっかり元気になっている。酸素室の中からはやくだしておうちにかえろって言っているみたいだった。胸水を抜いて呼吸が楽になったのだと聞いた。あのこはおとなしいおだやかなこだった。苦しさと痛みはどれほどのものだったのか。おとなしいあのこはやっぱりおとなしくしていたのだ。苦しさも痛みもおもてに出す気力もなかったのかもしれない。それでも今元気になっているのを見たらどんなに苦しくてもまだおうちに帰りたいとそう言っているのだと思った。

 

嬉しかった。とにかく嬉しかった。おうちに帰って細い体でよちよちと歩く姿に愛しさが込み上がる。窓の外をみながらごろりとして体を舐めたりお顔を洗ったり。いつもきれい好きなあのこはいつものようにきれいになっていった。もう21歳だというのにあのこの毛並はとても綺麗だった。獣医さんにも褒められた。いっつも毛繕いしているんですよ。そう言ったらそうなのおじょうさんだねえと優しく言ってなでてくれた。心が温かくなった。

 

さらさらの毛に触れるとなあにと顔をあげる。その顔は本当に昔からかわらない。するりと撫でると背骨が指に当たった。胸水を抜くために剃られた場所は地肌が見えて、肋骨が浮いていることがよく見えた。こんな儚い体の奥深くまで針が刺さったのだ。頭を撫でる。気持ちよさそうに目を細めるあのこにありがとうと言うことしかできなかった。ここに戻ってきてくれて、ありがとう。

 

 

5日前 8月20日

 翌日は点滴にだけ行った。今日は呼吸が楽そうですね。胸水が溜まったらまた抜くしかないのですが、今日は大丈夫です。そう言われて帰った。ベッドの上にある自分のクッションの上に寝ているあのこ。今日もまっすぐ帰ってごろごろすやすやしはじめた。かわいいなあ。そんなこと思いながら私も寝転がる。横を向けばあのこが寝ている。そんな幸せなベッドに私はいつも寝ているのだ。

 

考えてみれば本当に恵まれている。うにゅうにゅいいながらおかおを隠したりしっぽを巻いたりのびーっとした腕が顔にあたったり。幸せいっぱいだった。おみみの後ろを撫でられるのが好きで撫でると気持ちよさそうにする。いつもと変わらないと思った。

 

 

4日前 8月21日

 更に翌日の夜。あのこの体調が急変した。開口呼吸をはじめた。苦しそうに立ち上がれない。病院が開くまであと八時間。七時間、六時間。深夜にいったところで胸水を抜くには先生だけでは無理だ。何人かの看護師さんの手も必要だと言っていた。夜間診療所はもうやっていない。そもそもそこに行くまでの一時間の車の振動に耐えられるように見えなかった。

 

ふらふらしながら自分のクッションでおもらしをしてしまった。そこからでてベッドでも再び。トイレは近くに置いてある。すぐにそっと移動させてもそこではしない。気にしないで。全然大丈夫だから、一番楽なようにするんだよ、一番くるしくないようにするんだよ、すぐきれいなクッションだすからね。そんなことを言いながらあのこをやわらかいクッションに移動させて様子を見ながらおしっこをふき取った。涙がとまらなかった。

 

くるしいよね。ごめんね。ごめんね。苦しいのとってあげられなくてごめんね。あのこを見ながらずっと泣きながらあやまっていた。

 

 

3日前 8月22日

 とても寝られずそのまま朝一番に病院へ連れて行った。すぐに処置します。そう言って先生はあのこを酸素室に連れて行った。また承諾書を書いた。胸水を抜くのだ。連絡先をかきながら、眩暈がした。寝ていないせいじゃない。この連絡先にどんな言葉が伝えられるのか怖かった。家でシーツやクッションを洗って干して、いつでもあのこがこの大好きなベッドで寝られるようにとそう思ってきれいにした。一時間半後、処置が終わって今安定していますと連絡があった。

 

酸素室ではもうニャーニャーとなかなかった。ぼんやりと私を見ていた。帰りに獣医さんにもう点滴に通わなくてもいいでしょう。腎臓病食にこだわらず好きなもの美味しいものを食べさせてあげてください。刺身でもなんでもいいです。そう言われた。どういう意味なのかはすぐわかった。

 

帰ってきたあのこはいつもベッドの上のクッションに寝るのにもうベッドの上にはいかなかった。行く体力もないのだ。床に置かれている方のさぶとんにぱたりと寝転がる。寝ていないのだ。あんなによく眠るこがまったく寝ていない。すぐうとうとしはじめるのを見てそっと撫でた。私は在宅の仕事をしている。すっかり溜まってしまったものをその間に片付けていた。15分ごとにあのこの様子を見る。いつものような寝相がない。ただくったりとして体を休めていた。

 

何も食べてくれない。とにかく何か食べて欲しくて昔好きだった帆立の缶詰をあげたらたくさん食べてくれた。嬉しかった。本当に帆立の缶詰が好きなんだなあ。最近は体のためを思って腎臓病食ばかりだった。猫用のおやつもあげたりもしていたけれど、全部高齢猫用のものだ。帆立の缶詰なんて何年ぶりなんだろう。おいしい?ときけばにゃーといってたくさん食べてくれた。涙が出た。

 

もうすぐお別れをしなければならないのだ。あのこの横の床に転がっていつものベッドみたいに顔の横にあのこがいるみたいに並んだ。やさしくやさしく撫でながらごめんねくるしいよねいたいよねごめんねと言っていた。ありがとうと何度も言った。言いながら涙が出てくる。かなしい顔をしているとねこさんもかなしくなっちゃうよ。そう動物病院に務めている子が言っていた。笑おうとしてやっぱり涙は出てしまった。何かをしながらふと唐突に声を上げて泣くような状態だった。謝罪と感謝。それの繰り返しだった。私はこのこをちゃんと幸せにしてあげられていたのだろうか。

 

その日はそのまま床で寝ることにした。枕を持ってきてタオルケットをかけて隣で寝ていた。硬いフローリングが痛かった。でもそれよりもいつお別れがきてしまうのかと思うと怖くて眠りたくなかった。食欲もないまま二日の徹夜はちょっと私の体には堪えた。ぷつりと意識が途切れる瞬間がある。それを繰り返している中少し長く眠ってしまった。

 

時間にして二時間。あのこを見ればクッションから頭だけ出して床にことりと落としている。ぞっとした。急いで名前を呼んだ。あまりにも軽い頭を支えた。逝ってしまったのか。そう思った。私はここまできて看取ることもできなかったのかと、ひとりで逝かせてしまったのかと凄まじい後悔と絶望が襲った。そのときふわりと手が軽くなった。あのこが顔を上げている。だいじょうぶだよ。そう言ってるように思えた。まだあのこはここにいた。いてくれた。

 

 

2日前 8月23日

 もうベッドに上がれないあの子と床で寝ながらあの子の顔を見ながら外が明るくなるのを待つ。あの子は苦しくて眠っていられないみたいだった。目が瞑れないのかうすく目を開いている。何が見えているのだろうか。帆立の缶詰は相変わらず食べてくれる。バターも少しだけ舐めた。マグロのお刺身も置いてみたけどマグロはあんまり好きじゃないみたいだった。帆立缶が本当に好きなんだね。

 

昨日の朝よりはよっぽど楽そうだ。でもやっぱりやつれている。少し苦しそうだがおしっこもトイレできちんとできている。病院につれていくべきか悩む。明日は病院のお休みの日だ。今日連れていくべきかどうか。今日連れていかなければ明日一日病院には行けない。しかしリスクを伴う処置なのだ。もしかするとそこで亡くなってしまうかもしれないようなものだ。もし。もしこのまま亡くなってしまうならば。せめてこのまま家で看取りたい。苦しくて痛い思いをさせてそのせいでそのまま病院で亡くしたくない。そんな気持ちで迷いながら今日を終えた。 

   

 1日前 8月24日

明らかに前日よりも消耗している。ぐったりとしている体はとても細い。抱き上げることはもうできなかった。細く軽い体の中にはもう胸水が溜まりはじめている。抱き上げるとあの子が苦しい。極力力を入れず優しく頭を撫でる。私を見る目は常に潤んでいて虚ろだった。それでも私を見ようとしてくれている。どんどん衰弱していくのがわかる。やはり昨日病院につれていくべきだったんじゃないのか。私の判断は間違っていたんじゃないのか。昨日連れていけばまだ長く生きられたんじゃないのか。もっと体が楽になれたんじゃないのか。離れたくなかった。私はこの子に本当に沢山のものを貰っていた。

 

これから過ごしやすい季節になるよ。こたつもいれるよ。雪が降ったら抱っこしておそと散歩してみたいな。そして春には綺麗なお花を一緒にみたいよ。季節がめぐる度思い出が増えていく。当たり前のようにもうすぐあったかくなるね、もうすぐさむくなるね、そんな会話をしていた。夏には。秋には。冬には。そして来年の春にはなにをしようか。そんなことを言っていた。聞いてくれていた。涙がとまらなかった。